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東京地方裁判所 昭和41年(刑わ)5092号 判決

主文

被告人らはいずれも無罪。

理由

本件公訴事実の本位的訴因は

被告人らは、東京都学生自治会連合(以下都学連と略称)派の学生であるが、同派はかねてより全日本学生自治会総連合(以下全学連と略称)派と対立抗争関係にあつたところ、昭和四一年九月二二日午後三時五〇分ころ、東京都千代田区紀尾井町三番地清水谷公園において、自派学生による集会中、全学連派の学生がその場に参集して対抗しようとしたところから、これを実力で排除するため、被告人ら都学連派の学生約五〇名が右全学連派の学生の身体に対し共同して害を加える目的をもつて、それぞれ角棒を携行準備して集合した際、被告人らにおいて同様目的のもとに、長さ一メートル前後の角棒各一本を所持してこれに加わり、もつて兇器を準備して集合したものである。

といい、予備的訴因は右「それぞれ角棒を携行準備して集合した際、」以下を「被告人らにおいて、その角棒の準備あるを知つてこれに加わり、もつて兇器の準備あるを知つて集合したものである。」とするものであるが、当裁判所は審理の結果に徴し、いずれの訴因もこれを確認し得るだけの証明がないと判断する。その理由は次のとおりである。

<証拠>を総合すれば、

一、従来学生運動を指導して来た各大学々生自治会の全国的組織としての全日本学生自治会総連合(全学連)は昭和三五年いわゆる安保斗争を契機に解体分裂し、各自全学連を名乗りながら、幾多の派閥が併存し、大別して日本共産点の指導下に在る一派と、同党の指導下に在ることに飽き足らず、これに反発する一派に分れ、反日本共産党系の一派は日本マルクス主義学生同盟革マル派(マル学同革マル派)、同学生同盟中核派(マル学同中核派)、日本社会主義学生同盟系(社学同統一派)、同青年同盟系(社青同)等に分派し、革マル派が主導権を握るものとして革マル全学連と称するに対し、その他の三派は連合し昭和三七、八年以降の大学管理法反対、日韓条約粉砕のための学生運動を経て、昭和四〇年七月東京都学生自治会連合(都学連)を結成していたが、ベトナム戦争に反対し、小選挙区制実施を阻止するための学生運動を全国的政治斗争として展開するためには、都学連と京都府学連とを中心として全国的な斗う学生自治会を結集した全学連を再建する必要ありとして、昭和四一年三月臨時大会において同年一二月を期して全学連再建の方針を決定し、同年七月全学連再建実行委員会を結成して全学連の主導的勢力たることを目指していたこと、

一、これに対し革マル派もまた昭和四一年七月、その定期大会において「三派連合による一二月全学連再建の策動を粉砕し、三派連合による分断策動を粉砕して行くための斗い」につき協議する等対抗策を練り、同年九月七日横須賀市臨海公園における原潜寄港阻止のための集会に際し、全学連再建に関する発言に端を発して、両者乱斗を演ずる等、主導権を廻つて激しく対立抗争する情勢にあつたこと。

一、以上のような情勢のさなかに昭和四一年九月二二日全学連再建実行委員会委員長斉藤克彦主催名義により「ベトナム戦争反対、小選挙区制粉砕、全国学生統一行動」を目的に掲げた集会が、東京都千代田区紀尾井町三番地清水谷公園において開催され、同日午後三時四〇分ころまでに三派連合のみならず革マル派をも含めおよそ五、六百名の学生が同公園内広場に参集したこと、

一、同公園広場においては、東側の築山に面し右側に革マル派の学生、左側に三派連合の学生が位置し、午後三時ころより両集団は前者の左側と後者の右側と接しながら互に対抗して各別にそれぞれの指導者が演説し、またその音頭に従してシユプレヒコールを繰返すうち、都学連派の指導者が「全学連再建実行委員会の集会を開きます」と宣したに対し、革マル派の指導者が一段と音量の高いメガフォンをもつて「分裂策動の戦いの中で統一集会を開きたいと思います、我々は統一行動を分断するためにここに来たわけではない」等応酬したことから、演壇附近の両派の接触点において、小ぜり合いを生じたことが口火となつて、両派の学生が角棒、旗竿等をもつて打ち合う乱斗状態となつたこと

等本件発生に至る情勢、現場の情況を認めることができる。そして被告人らの本件当時の行動については、<証拠>をそれぞれ総合すれば、被告人らはいずれも前記両派学生の乱斗状態の中において、都学連派の学生と共に、革マル派の学生を角棒をもつて殴打し、或いは角棒を振り上げて殴打する姿勢を示し、或いはこれを投げつける等各自角棒を所持して行動していたことが認められる。

検察官は、兇器を準備し共同加害の目的をもつた二人以上の者が集合して集団を形成した以上、兇器準備集合罪は成立し、その目的とした共同加害行為の実行に入つても、集団として存続する限り、成立した兇器準備集合罪は継続しているのであるから、その集団に自ら兇器を準備し、若しくはその集団に兇器の準備あることを知つて参加した者には同罪が成立する。本件の場合、最初都学連派の学生約一〇名が角棒を携帯して全学連派を殴るべく一集団を形成し、これに他の学生が加つて約五〇名の集団をなして、全学連派の学生と乱斗の末これを追い散らし、元の位置に戻つて来て、反撃して来る全学連派を迎撃する態勢を示し依然一個の集合体として存続していた。従つて右乱斗状態の中において角棒を所持して行動したことが認められる被告人等について、いずれも兇器準備集合罪が成立すると主張する。

しかしながら、二人以上の者が共同加害の目的をもつて兇器を準備して集合した場合であつても、進んで加害行為実行の段階に至つたときは、そこに存在するのは先に目的とされた共同加害行為の実行そのものであつて、集合体による行動はあつても既に刑法二〇八条の二所定の構成要件的状況といわれる共同加害の目的をもつて集合した状態ではなく、兇器についてはその行使であつて、その準備ではないと解すべきである。共同加害の目的をもつて集合するということは、将来達成しようとする共同加害の目標によつて統一された二人以上の者が、そのための共同行為をとる準備として同一の時、同一の場所に参集することであり、集合という行為は、その性質上、分散するまで人の集団として継続するものではあるが、刑法二〇八条の二の適用に関して考える場合、目的とした共同加害行為の実行段階に至つてもなおその目的をもつた集合の状態が継続しているとすることは、目的の実行が同時にその実行のための準備であるという矛盾したこととなつて、正当な解釈とは思われない。

元来刑法二〇八条の二の規定は、やくざ暴力団体の勢力団体の勢力争い等を原因とする殴り込み等、集団的な殺傷事件が続発し社会不安を招いたことを契機として、現実に集団による殺傷その他加害行為が実行に移される以前、その目的をもつて集合した段階において、その目的に供するため兇器を準備した者につき独立の罪の成立を認めて規制し、集団的殺傷、暴行事件等の発生を未然に防止しようとするものであることは疑いなく、目的とした共同の加害行為が実行の段階に至つたときは、その加害行為の内容に応じて該当法条の適用による規制に俟つべきであると解せられる。そして同法条はその立法の動機理由が前記のとおりであつても、法条として制定された以上法規として客観的存在を有し、特に限定のない限り、その適用範囲をやくざ、暴力団の行為のみに限定することは法規の解釈として困難であるが、それだけに同条の規定する構成要件は厳格に解釈し不当に拡張されてはならない。本件において、被告人等が乱斗状態の中のある時点、ある場面において、それぞれ角棒を手にして行動していたことを認め得るのであるから、その各行動の如何により傷害、暴行、或いは暴力行為等処罰に関する法律違反、その他該当の罪名に触れるものとして、その刑責を問うことは格別、乱斗状態の中で角棒を携えたことは即ち刑法二〇八条の二に該当するものとして同条所定の刑責を問うことは同法条の適用範囲を相当の度を超えて拡大するものというべきである。

なお検察官は共同加害行為の実行に移つたことにより、共同加害を目的とした集合の状態は終了したと解するにおいては、本件の場合都学連派の学生が全学連派の学生を圧倒して一旦追い散らした後角棒を携えたまま再び集結して、反撃の行動に出ようとする全学連派の学生を迎撃する態勢をとつているのであるから、この時また新たに、兇器準備集合罪に該当する集合のあつたことを認めなければならないと論ずるが、それは集団と集団との斗争中、ある時点において優勢なものが劣勢なものを追い散らした結果、現実に打ち合う斗争状態が一時途切れた際に、なおその後引続いて起ると予想される斗争に備えて態勢を整えた、いわば一連の共同加害行為実行中の一こまというべきであつて、このときに一旦当初の加害目的の実行行為が終了し、反撃して来る相手に対し新たに共同加害の目的をもつて集合したと認めなければならない理由はない。

右のとおりとすれば、被告人らを公訴にかかる兇器準備集合罪に問い得るためには、乱斗状態に至る前の段階における被告人ら各自の行為が刑法二〇八条の二の構成要件を充足することが認められなければならない。この点につき、前記のとおり被告人らが乱斗状態の中に在つて角棒を所持して行動していたことから直ちに、その前段階において共同加害の目的をもつて集合し、角棒を所持して兇器を準備したと推断することはできない。「乱斗の中で角棒を携えていたのであるから乱斗状態となる以前に角棒を準備していたであろう」、また「乱斗の中で相手方に対し暴行し、または暴行しようとする姿勢を示していたのであるから、乱斗状態となる以前、既にその目的を持つていたであろう」という推論は、その間の時間的距りが数分間を出ない本件のような場合、比較的肯定し易いとはいい得ても、必然的に肯定されるものではない。否定の余地の残る以上その推論の結果が犯罪の成否にかかわる場合において安易にこれを肯定すべきではないと考える。

本件乱斗状態となる直前の被告人らの行動を明らかにする資料は乏しいが、この点につき被告人中最も詳細に自己の行動を供述している被告人松本の自供はこれを要約すれば「従来革マル派と三派連合の間に紛争のあつたことも聞いていたので、本件当日の集会においても或いは紛争を生ずるかもしれないことは集会に参加する前から認識していたし、当日会場の雰囲気から殴り合い位は起るのではないかという気がした。集会中両派の接触する位置にいた学生が互に対峙する形勢となつたとき、隣りに居た知らない学生から角棒を渡されたので、相手方の学生がかかつて来たときの防禦用に持つていた方がよいと思つてそのまま手にしており、周囲の者が前進したので自分もこれについて前進した」という趣旨になる。これによれば同被告人は集合した状態において他の学生から渡されて角棒を携行するに至り、そのまま集合体の中に止つていたのであるから、その時以後兇器(角棒はいわゆる用法上の兇器となり得ると考える。)を準備して集合したと認め得るにしても、兇器準備集合罪の成立ありとするためには共同加害の目的のあることを必要とする。共同加害の目的という以上、加害行為が他人と共同して達成しようと意欲する対象でなければならない。例えば殴り込みのために同じ党派に属する者が集合するような場合であればその存在は明らかであるが、右自供のように両派の間に紛争を生じ合う状態となるかもしれないことを認識し、且つ周囲の他の学生に角棒を携えた者もあつたことを認識していたとしても、なお共同加害の目的を有したとするには足りない。他にその目的の存在を確定し得る証拠も、これを推断させる客観的事情も認められない。

次いで自己の行動につき自供する被告人田中は、捜査官の取調より公判審理に至る経過中に、その供述内容を変転させているが、前掲証拠に徴し、乱斗状態の中で角棒を拾つたという供述は到底信を措き難く、検察官に対し供述するとおり「揉み合いが始つた時に他の者から棒を渡された」ものと認められるが、被告人松本の場合と同様にして共同加害の目的を認める証拠に窮する。

その余の被告人らは乱斗状態となる前段階における各自の行動について、いずれも自供せず、他にこれを知る資料は存在しない。

なお<証拠>によれば、本件集会に際し公園内に都学連派の学生により角棒と思われる包が持ち込まれ、両派抗争の形態となつた頃、記念碑の蔭等において数名がプラカード板を踏み破つて角棒としたことが認められ、都学連派の指導者らにおいては革マル派との抗争を予想し、これに対し害を加える目的を持ち、そのために兇器を準備したと推測し得る事情が窺えるが、被告人らがその指導者或いはその周辺の者であつたとも、それらの者と意思を通じていたとも、それらの事実を了知していたとも認め得る何らの証拠もなく、また前田和男の検察官に対する供述調書中に「両派の間が険悪になつた頃、指導者が「プラカードの看板を棒から外せ」と指示していた」旨の記載があるが、被告人らがこれを聞き或いは当然聞き得る情況にあつたことの証拠はないから、これらの資料を被告人らが共同加害の目的を有し、兇器を準備し、またはその準備のあることを知つていたと認める証拠とすることはできない。

結局各被告人いずれについても刑法二〇八条の二を罰条とする本位的訴因も予備的訴因もその証明がないことに帰し、それら訴因を暴行若しくは暴力行為等処罰に関する法律違反に変更することは公訴事実の同一性を欠き、許されないと解せられる。

従つて弁護人主張の憲法違反の論点につき判断するまでもなく刑事訴訟法三三六条後段により被告人らに対し、いずれも無罪の言渡をすべきものと判断する。

以上の理由により主文のとおり判決する。(寺内冬樹)

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